亡くなっていた知人を悼む記事

前置き

先日、突然に行われたZoomによる小規模なリモート同窓会で同級生が2020年末に流行り病で亡くなっていることがわかり、その同級生の墓参り会が今回のGWで行われるとのことだったので、参加してきた。

その同級生は女子なのだけど、墓参りに参加している男性は自分だけだった。もちろん、まあまあ急なスケジュールで知らされた話だったというのもあり、行きたいと思った人間が全員参加できたわけではないと思うが。自分の母校は異常に閉鎖的かつ古風であったので男女間でかなりコミュニティーが分かれている感じだったのだが、同じ学習塾に通っていたというのもあり、おそらく男子の中では一番彼女と話す機会が多い人間だったのではないか、と思っている。今はもう確かめようもないことだけど。

その墓参り会の後彼女の思い出を振り返るような話をする機会があるかと思ったがあまりそういう流れにもならなかったので、個人的に記憶を振り返って悼んでおこうと思う。そういう流れにならなかったのは別に各人がドライだったわけではなく、亡くなったという事実に対して現実感がないからだと思う。基本的に過去に所属していたコミュニティと連絡を取り合ったりすることは、同窓会だったりの特殊な機会があるか、あるいはよほど仲が良くない限り数年(あるいは数十年?)に一度とかが現実的なペースだと思っていて、そういう人の喪失に実感を持つことは困難な気がする。自分が(ある程度近しい)人の死に触れた時には「もう話す機会は無いんだな」という気持ちが悲しいとかの感情よりも先に出てくるのだけど、もしかしたら亡くなっていなくても二度と話す機会はなかったかもしれない。そうだとしたら亡くなってたという事実についても(ある側面から見ると)何も変化がないということになるので、実感がなくても仕方がない気もする。

彼女について

彼女については「成績トップ2の女子」という印象が最も強く残っている。2クラス60人程度しかいない非常に小さな学校だったことや、一応私立中高一貫進学校ということもあり成績でクラス分けされるなどの文化があったことから、他人の成績はぼんやりと察することができる環境にあった(ちなみに自分は下半分のクラスのさらに下半分くらいの人間だった)。性別の人数調整とかが全く行わなかった結果、男子のほとんどが下半分のクラス、女子のはとんどが上半分のクラスという形で大きく分かれておりぼんやりと「女子は賢くて、男子はアホ」という風潮があったのだが、その上クラスの女子の中でもトップとトップ2の女子というのがほぼ固定化されている印象で、彼女はそのトップ2の方だった。

トップの女子というのが結構不思議な感じの人というか、ゆるい?柔らかい?みたいな感じの人だったのに対して、彼女はエネルギッシュかつ、気が強い関西の女子という感じであった。+、これは側から見ていての印象だが、彼女はそのトップの女子を尊敬、というか神格化しているようなところがあり、男子がそのトップの女子に話しかけようものなら「お前らみたいなアホが話かけんな、アホが感染る!」という感じの扱いをしていた気がする。実際にそういうことを言っていたかもしれない。まあ本気で言っているわけでは無いというか、男子側的にも「私たちみたいな下賤の民が、すいませんな」くらいのテンションだったので、それに対してどうこうみたいな話はとくにないが。閉鎖されている進学校で、かつ部活動が全く盛んでなかったので学力くらいしかヒエラルキーがなく、概ねこれを通じてカーストのようなものを共有していた記憶がある。

そういうわけで基本的に彼女と交流する機会は当初はほとんどなかったのだけど、自分の通っていた学習塾に彼女が入ってきたことによって少しずつ話すようになった。別に彼女だけが入ってきたわけではなく、なぜかその学習塾に同級生が同じようなタイミングで立て続けに数人ほど入ってきた記憶がある。あまり理由はわからないが、利用している路線のハブ的な駅に立地していたこと、ローカルな学習塾な割には教育レベルの高さ、また値段の安さ、そろそろ大学受験を意識するタイミングが来ていたみたいなところの噛み合わせだろうか。ちなみにその学習塾は経営団体がかわり、かつての姿はもう無いのが残念だ。

そうして普通に話すような仲になった後も別に彼女の苛烈さは変わることはなかったのだけど、遠慮のない言葉で清々しくコミュニケーションできる人間は好きだったので最終的にはかなり仲良く話していた記憶がある。志望校等の違いで最後の方は学習塾でのクラスは変わっていったのだけど、その頃には学校の中でその学習塾に通っている人数が結構な数になっており、それだけで一つのコミュニティとして連帯感ができていたので、受験の終わりまで話す機会は多かった。

結局自分も彼女も(というかその学習塾に通っていた人間が大方)第一志望に合格し、その後は同窓会的な機会で数回顔を合わせたきりになってしまった。一度彼女が進学した大学の地方を訪れる機会があり、その際facebookのメッセージで会えないかどうか尋ねてみたのだけど、生憎予定が会わず交流はできなかった。

おわり

墓参り会の時に全く話が出なかったということはなく、何が好きだった、どういうことを言っていたというエピソードが仲の良かった女子からいくつも出ていたのだけど、自分はそれらの話をほとんど知らなかった。よく話すようになったといってもどこかに遊びに行くグループなどで同行したこともないと思うので、そういう意味では距離として近くもなく遠くもなくのようなものだったのかもしれない。それでも自分は彼女と二度と話すことがないことを残念に思うし、またより多くの人が彼女と関係する可能性が失われたことをもったいなく思う。

安らかに、という言葉は使い慣れず、どうしても体裁で構成された文字列のような印象があって違和感がある。もう亡くなっているのでおかしい話ではあるが、お元気で、という言葉の方が彼女を思い出すときにイメージされる苛烈さには合っているように思う。