にっき 2024-0403

関係ない画像シリーズ 2022の山形のふるさと納税で入手したチェリー酢。爽やかで美味しい。

テレビを買った。まだ届いていないが金曜日に届く予定。近くの家電屋で大きさの感覚、液晶と有機ELの見え方の違いだけ確認してamazonで一番安そうなやつを買ったという感じ(今は終わっているが、タイムセールで10万円を切っていた)。

テレビがない生活が、大体8年くらい続いていた。大学時代のときはシェアハウスのようなところに住んでおり、週末だけ実家に帰るという感じだったのでそれも含めると10年以上。シェアハウス時代はどちらかといえば生活の都合上見れないというところが大きかったが、大学院時代からは一応自分の意思を持ってテレビを持たないという選択をしてきたことになる(全てのものは持たないという方がデフォルトだろという考えをするなら持つ方に意思が必要とも言えるが、現代日本においてはまだ持たない方が少数派だと思われるので一応こう書く)。テレビがレアになりすぎて、旅先の宿などでテレビを見つけると海を見た奈良県民のごとくはしゃいでしまう(二重の自虐)。基本的に旅はライブの遠征であることが多いので、そういうときは土曜夜のドキュメント72時間をよく見ている。

基本的にパソコン、インターネットつけっぱ人間なので別に要らないといえば要らないのだけど(実際なしで過ごしてきたわけだし)、実際にテレビを買うモチベーションを考えてみたときに、より認知不可が低い形で情報や賑やかしを得たいという気持ちがあるからなんだろうなと思った。PCでたとえばYoutubeなどを見る際は、PCデスクに座って自分から見る情報を能動的に選択して見る、という動作が必要で、結構コストが高い。もう当たり前のようにそういうことをやってきているけど、現代のweb体験が検索からレコメンド中心になっているように、自分から能動的に情報を掘っていくことは本来かなり高度な行為である。もちろん特定の情報を知りたい場合などはそうする他ないのだけど、YouTubeの動画なんてほとんど暇つぶしに見ているようなもんなので、そういうのを見るのはパッとつけて寝転びながら見れるテレビでやるほうがよりリラックスできると思う。また所持しているライブのBDなどもでかい画面でみると体験も異なりそうなのでその辺も期待している。PCゲーをやるのだけどうやって解決しようかな…リモートデスクトップ用の小型PCを買ったらどうにかなるんかな。

こういう形で小規模でも今までやってこなかったことに少しずつチャレンジしてみて、生活や思考の選択肢を増やしたいと思う。料理家電などについても現在吟味中なので、使用感がわかってきたらまた日記に書きたい。

にっき 2024-0402

今日はニトリダイソーと家を往復して色々物を揃えたりしていた。初めて生活をデザインする余地があるくらいの部屋に住んでいるので、工夫ができて楽しい。ルビサファのひみつきち機能が好きだったことを思い出す。一方でぶつ森シリーズには全然惹かれないんだよな。なんなんだろう。

今までは最低限の家具を置いたらそれで終わりで、何かを工夫する余地がなかった。多分こういうことが他にも言えると思っていて、何かに関心を持ったり楽しむのにはまず余裕が必要で、それがないとただ日々をこなす以上のことができなくなっていく。それにより生がどんどん無味乾燥になることにしょんぼりしていくという負のループにより、人生が暗くなっていきがちである。

こういう話はそもそもの幼少の家庭環境みたいなところからスタートするので、基本的に格差の再生産が繰り返される形になる。自分が平均的な同世代の人間と比べて幸せななのか不幸なのか(そもそも平均と比べることに何の意味があろうか)わからないけど、余裕や満ち足りている感覚を感じたことはなく、しかしそれでもなんとか感情や行動をやりくりして対峙していかないといけない、そのままならなさ自体が生というものなんだなと最近は思うようになっている。

にっき 2024-0331

HUBでアイドルマスターコラボがあったので行ってきた写真。文章だけだと絵面が地味なので今後はどうでもいい画像でもいいのでなるべくつけていくようにしたい。

中途半端に目覚めてしまったので荷解きしたら用事の時間になり、そのまま外出をしてほぼ徹夜で活動した結果、一日の最後はめちゃめちゃ頭痛がするようになってしまった。なので早めに就寝したが、また3時間程度の睡眠で目覚めてしまって今に至る。睡眠がうまくなりたい…

もともとは旅先での睡眠管理のためにジフェンヒドラミン塩酸塩系(ドリエルとかのやつ)をたまに使っていたが、日常でも使用するようになった。といっても恒常的に服用しているわけではなく、リズムが乱れたときの修正用として月に1,2錠飲むかどうかくらい。ただ一時期結構な頻度で飲んだ結果短期的耐性がついてしまって、その際は近隣の精神科にデエビゴというちゃんとした睡眠薬をもらって服用した。これはめちゃくちゃ効くが、耐性が出来てしまうのが怖くてあんまり使わない。こちらも一ヶ月に一錠くらいの消費ペース(半錠ずつ服用しているので長く保つ)だったが、ちょうど切れたのでまた貰いにいかないといけない。

睡眠が少ないと気持ち悪くなりやすい体質なんだけど、その原因の2割くらいは「睡眠が足りてないので絶対に不調になるはずだ」という逆プラシーボ効果によるものな気がする。7時間くらいが理想の睡眠時間のベースとしてあって、その基準から負債があると病は気からを地でやってしまう。

結局睡眠が生命の維持になぜ重要なのか、実際どれくらい必要で欠くとどこに負担が出るのかわかってないというのが、不安に拍車をかけているんだと思う。早くすべてが解決されるか、そもそもいつでも無限に寝れるような体質になりたい。

にっき 2024-0330

旧居の掃除やらなんやらを終え、鍵を返し完全に退去が終わった。引っ越しをすると自分の暮らし方の下手な部分がわかる。次の暮らしの課題はアクセシビリティの設計と消耗品をちゃんと使うということにする。

夕食に油そばを食べたんだけど、油そばってマジでジャンキーさ「しか」ない気がして、味が無い感じがする。せめてなんか魚粉とか置いといてくれてもいいと思うんだけどな… 日清の完全メシのまぜそばが結構味が好みだったんだけど、廃盤になってしまってとても悲しい。後継の担々麺は口に合わなかったが、なぜか旧まぜそばの定期注文がそのまま引き継がれていて大量に届いたため(最悪)知人に譲った。

にっき 2024-0329

今日は数年ぶりに新卒同期の飲み会があり、転職した人間も含めて集まり楽しく食事をしていた。皆そこそこにドライだが、仲自体は悪くないというくらいの距離感でほどよい。

引っ越しのドタバタが忙しすぎて数日間空けてしまっていた。ほぼほぼ完了し、明日軽く旧居を掃除すれば終了となる。積み残した荷物を送ったり色々とはみ出た感じはあり、たまたま旧居と新居が一日に往復できる距離だからどうにかなってるだけだが、まあどうにかなったので…(喉過熱忘)

引っ越しの記憶として、物心ついて最初の引っ越し(二回目)のとき幼稚園が終わると親の車が迎えに来て、どこに行くのかと尋ねたら 新しい家だよと言われてそのまま新居に移動した(愛知->奈良)記憶がある。急に日常が変動する感じがワクワク感があり、引っ越しが楽しいという原体験になっているのかもしれない。引っ越すこと自体は友人にお別れ会などを開いてもらってた記憶もあるので理解していたはずだが、実際どういうことかわかってなかったのかもしれない。

ちなみに今までに引っ越しは今回のを含め9回行っている。少なくとも結婚するまでは一回も実家から出ないという人生も別に珍しくないと思うので、そういう人と比較すると居住地というものに対して持つ感覚もかなり異なっているんだろうなと思う。

にっき 2024-0325

荷造りをしていると毎回保有している書籍が自分の想像の3倍くらいあることに気づくが、どちらかというと日常的に参照しているそれが全体の1/3程度に過ぎないということな気もしていて、どんどん処分していかないといけないんだろうなと思わされる。買う本の中で実際に読む本は一部で、読み返す本というのはその中でもほんの一部なので、所有し続ける必要がある本って実はほとんどないんだろうな。

特に同人誌の処分が難しく、かなり心を鬼にしてやる必要がある。そういうこともあり、昔はコミケやイベントの度に大量に買っていたのが、今では数冊買うか買わないかという感じになってしまった。

インターネットでイラストや漫画が簡単に投稿、閲覧できるようになり同人誌(即売会)というのは役割を終えてそうにも思うのだけど、ジャンルの移り変わりはあれど今でも文化自体は盛況で、「物理的に所有する」という生物的な本能に根差した人間の欲求はまだ克服するのに時間がかかるんだろうなと思う。エロゲの箱が無駄にでかいのとかも、多分この理由が大きいと踏んでいる。

にっき 2024-0324

今日は逆求人イベントに参加した。学生側で参加してるときはこの種のイベントの座っている学生の席に代わる代わる企業の人がくる様を回転寿司と呼んでいたが、時間が経って自分が寿司の側になってしまった。

お話した中のひとりに、自分の卒業した学部のコースの人がいて少しだけローカルトークが盛り上がった。

社会人になってから大学にはほとんど立ち寄っていない(京都に立ち寄る用がそもそもない)が、JamesKitchenのガーリックバターハンバーグと食堂のフルーツヨーグルトはまた食べたいなあと思う。