リズのメモ

チラ裏です 思考のメモとして

何から書けばいいんだろう、何から書いてもダメな気もする。物語というのは大きく2つに分けることができて、実話と創作。実話は起こったことの記録であり、その中に勝手に読者、あるいは語り部が意味を見出す。創作はそうでなくまずはじめに意味があり、創作者はそれを「たとえ話」として物語にする。何故かと言うと人間は感情の生物であり、ある意味を伝達する際に理屈ではなく共感能力を用いて追体験させる方が効率が良いと思われてるから。だと思う。

では創作から創作性(ここでは一般名詞のそれではなく、上で定義した「創作」に従う度合いの語として用いる)を除くと何が残るかと言うと、意味、言い換えると創作者の主張が残る。言い換えるとつまり物語のうまさみたいなものを図る一つの度合いとして、いかに高度な「たとえ話」か、つまり「主張」から遠ざかりしかしなおかつその主張の意味を読者に理解させたかというところで測れるのではないかと考える。

リズと青い鳥は、まあざっくり言うと二人の人間の相互の関係性の対称認識の話。なんでこの映画にしんどくなったかというとおんなじよーな話を(勿論程度としてはこっちはカスゴミみたいなもんだけど というか他人が見てそう思うかは怪しそう 勝手にそう思ってるだけです 気が狂っているので)同人誌で描いたことがあったから。事前情報無し(原作は勿論、あらすじやCMさえも キービジュアルくらいは見た 映画館に入ればそこにポスターあるし…)で見に行って、開幕のトコトコ歩いて音楽室についてこの曲の話がどうのこうのという話を傘木希美と鎧塚みぞれが初めたところで、まあ身も蓋もない言い方をするとオチが読めた。そこから後はひたすら採点というか答え合わせの時間みたいな感じで見ていた。この答え合わせというのは想像したオチが合っているかどうかではなく、もうそれは前提とした上でこういうテーマを描くことについての演出の方法論としての答え合わせ。まあ言うなら一人だけ単元について予習した上で講義を聞くようなものかもしれない。

物語において、糞下の下の下の手法として登場人物に「わたしはこういうことを思っています、いました~」と言わせるというのがある。というかもうこれは手法と言っていいかも怪しい。これを下回るとツイッターの白ハゲ漫画みたいな感じで単に感情アジテートのアイコンとして絵があるだけの主張そのものになる。まあそれはもはや上の定義では物語ではないので除外するとして、一応物語の端くれとしての一歩がこういう(台詞で全てを言う)演出。んで、自分は同人誌でそういうことをやった。二次創作同人誌の読者というのは想像しうるかぎり最も優しい読者で、その本からおおよそ解釈しうる最大の解釈をして、本への印象としてくれる。もちろんそれには元作品のコンテクストの共有という前提が有るからなんだけど、とにかく夏の本でそういうことをやって、一部の人からは良かったよ~~~というお言葉を頂けたりもしたんだけど、後から読み直すと本当に稚拙でなあと自分で思ったのだった。もちろん稚拙は悪いことではなくまあ実質二冊目の同人誌として、生まれたての子供が発する言葉のようなもので、そういったセルフフィードバックをを繰り返してまともな物語を描ける様になってくるんだと思う(その次の本は迂遠に過ぎて感想がほぼ全く来なかった、ちゃんと学びを得て逆方向に振ってて偉い)。

話が逸れた。それでよく見られるのが、物語中の物語、いわゆる劇中劇というやつだけどこれにメッセージ性を委託する手法が有る。物語中の人間にとっては作中空間(深さ1)が現実なわけで、そこで共感するような主張をするには上の理屈でいうとその中でさらに物語にくるんで創作の話を追体験させるしかない。そのお話は読者(現実世界)からみると深さ2の物語になっていると、まあ理屈は通る。アイドルマスターのオタクなのでアイドルマスターの話をすると、本田未央が突然演劇をおっぱじめたりするやつとかはそう。一応僕の同人誌でもその手法を採用してた。今回のリズもそう。探せば無限に例はあると思う。

これは自分の勝手な考えなんだけど、この劇中劇について作中人物が「直接」自分たちの関係のモチーフになっているみたいなことを口にするのは結構きつい。それはそうで、そのために用意された劇中劇なので当然である。まあ筋書きによるとしか言えないと言えばそうなんだけど…あとこの物語そのものの出自についても可能なら実在のものを引用したいという気持ちがある。テーマとなる関係を語るために劇中劇を作ったときにおあつらえ感が苦手。アニメシンデレラガールズ秘密の花園という実在の物語を持ってきていた。これはその部分では正しかったが、難点としてあまりにも高度なメタファーだったというか、まあ展開の無理さだったのかもしれないが、ちょっと自分の中では滑ってしまっていた。自分の同人誌では僕は教養がないので「おあつらえ」の話があったとことにしてやった。死ぬほど嫌だったけど、知らない物は知らないし、そういう物語の検索法もないので仕方がない。リズは実在の話っぽかったしなんか岩波版?かなんかのデザインまで起こしてあったからほーいい話もあったもんだなーと思ったら普通におあつらえ話らしくて図太さにびっくりしてしまった。オーボエとフルート云々も。まあそこをどうにかできてしまうのが「力」なんだろうな、と思った

うーんなんかダラダラしてきた。一番気になるのはこの映画そのものより、これについての評価かもしれない。正直にいうと自分にとってこの映画は完璧ではなかった。完璧な映画なんて無い気もするけど、もうちょっと現実味が有る完璧ではなさで、そこはそうしない、ここはこうしたい、みたいな感じ。もちろん、良いと思うところも沢山あった。良い、完璧ではない、という表現は正確ではないな。一致しているか、そうではないかという方が正しそう。ただこの作品が世間的にどう受け止められたかによって自分の演出感覚を修正できるかも知れないと考えた。僕の同人誌は、まあせいぜい1000人かそこらくらい(pixivで公開したときの閲覧数)しか読んでないと思うし、そもそも二次創作の漫画の演出の巧拙とか、多分誰も考えて無さそう(考えたら今すぐ僕とお話しましょう)。リズについて業界人は結構感想を言ってたりするんだけど、それもそれでやっぱり(数的にも目線的にも)一般的な評価とはいい難い。普通のオタク(とかいう存在がいるのか知らんが)がこの映画を見て、どういう感想を持つのかが気になる。

最後に愚痴みたいなことを言うけど、まあ大体京都アニメーションの綺麗な絵で丁寧な演出でそれっぽい話をやってたら「良かった」とはなるよな、と思う。それこそが京都アニメーションが持っている「力」だし、別に演出の本質的な評価なんて誰にも望んでないし、そもそも誰にも出来ないのかも知れない。最近宮崎駿が石鹸枠みたいなアニメの演出(絶対に絵は描かないで、キャラデザもテンプレラノベっぽい絵柄で)したらみんなやっぱりすごいってわかるんだろうかみたいなことをぼやっと考えたりするんだけど、スタジオや人間によって仕事の範疇も変わる業界は対照実験には向いてないな。それはそうとして自分にも力はほしいなーと思う一方で、力にかまけて良くない本を作るようにはなりたくないなという気持ちがあります。

ちなみに某同人誌は何時になるかわからんけど色々直していつかwebで公開するつもりです。