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文章

 朝、とも言えない時間に目を覚ます。窓から差し込む光の強さで時刻が正午に近いことを察する。あぁ、既に立ち上がりは最悪だなぁ……と心の中で毒づきながらなんとか上半身を縦に起こす。まだ油断はいけない。特に睡魔と組んだときの奴の手を付けられなさときたら。はっきりと「起床する」という意思を持ち、立ち上がり、階段を降り、キッチンにある冷蔵庫から「桃の天然水」の500mlペットボトルを取り出し、ゴクリとのどを鳴らし、飲み込み、
そしてようやく休日を始めることに成功した。

 七曜制でいう日曜日。神様が世界を作った疲労で休息していた逸話に倣い、多くの公的機関はその働きを一部止めている。もちろんぼくの通う国立大学も例外でなく、登校の義務は無かった。もっとも大学なんてもともと出席が義務の講義なんてほとんどないようなものなので、単に罪悪感の問題のだけのようにも思える。
 「今日、何か予定はあるの?」
 ダイニングテーブルでコーヒーを飲んでいる妹が尋ねる。予定。予定とはなんだろうか。
 「さしあたって今日、ぼくが実行することを他人に確約している行動はないよ。ただ、夜には京都に戻らないといけないけど」
 「またそういうわかりにくい物言いをして……素直に暇っていえばいいのに」
 まったくぼくもそう思う。もちろんこんなややこしい言い回しは外ではやらない。ただちょっと自尊心を満たすために友人たちの悪印象を買うのはあんまり賢いとは言えない。これは僕なりの家族に対する甘えみたいなものだ。
 「わたし、昼からおばあちゃんと病院に付き添っていってあげないといけないから」
 「うん、僕も昼から出かけるよ」
 すると、妹が少し怪訝そうな顔になる。
 「あんた、さっき予定はないって言ったじゃない」
 「今なんとなく決めた。どうせ家に居てもやることはないんだし」
 「あっそ。何でもいいけど。ご飯だけでも食べていきなさいよ」
 そして、本当にどうでも良さそうに言い捨てる。事実どうでもいいのだろう。昔から、ぼくの家族は基本的に相互不干渉のスタンスを貫いてきたように思う。
 関心がないというか、関係がない。家族である前に一人の他人。物心ついた時から両親にそう育てられた(別に明確に標語とかにされていたわけではないけど)僕たちは、だから互いの状況について何も知らない。妹は僕が通っている大学の名前も、週末以外をどこで寝泊まりしているかも知らないだろうし、僕は妹の彼氏の名前も(そもそもいるのかいないかも)、部屋のインテリアも、年齢さえも知らない(確かな過去の記憶から計算すれば導き出せるだろうが、億劫だ)。非情にドライなようなこの家庭は実はバランスが取れていて、特にトラブルが起きたこともなかった。
 昨日の残り物のカレーをもしゃもしゃして録画していたアニメを適当に流し見しながら、ぼんやりと考えた。さて、出かけるとは言ったものの、どこに出かけようか。
 地域の地元密着ショッピングモールを大量に生贄に捧げられて召喚された巨大ショッピングモールは、先週行ったな。適当に歩いて一時代を築いた隣の遺跡の町に行ってもいいけど、帰りの電車賃がちょっぴり痛そうだ。はてさて。妹との会話から何かヒントは得られないかな。
 「ところで、何か最近あった?」とりあえずサーブ。どうとでも取れる球を投げる。
 「何かって……変わったことはとくに起きてないけど」
 「いやいや、そうじゃなくてもいいんだ。個人的なイベントとかでもいい」
 「個人的な……あ、そういえば」
 妹の表情がほんの少し、歪んだ。
 「こないだ三羽くんに会ったよ」

 三羽真琴に遭遇したことは、確かに変わったことではないだろうが、しかし嬉しいイベントかと言われれば首を縦に振ることは難しいだろう。僕の妹に対して、かなり「愛のこもった」「密な」アプローチを仕掛けていた(大分好意的に描写していると思う)僕の元、友人だ。もっとも彼はいまだにぼくのことを友人だと思ってくれているかもしれないが、ぼくの中では友人関係とは無向グラフ、つまり相互的に友人だと認識して初めて成立するものなのだ。したがってぼくが「元」友人にカテゴライズしてしまった三羽は友人足りえないということになる。そんなことはどうでもいい。
 「それはまた。それで、何かあったのか?」
 「別に何かされたわけじゃないよ。目が合って会釈しただけだし……もう向こうも昔のことはなかったことにしたいんじゃないかな」
 「なるほど。まぁわが愛妹に貞操の危機が、しかも元友人によって……なんてオチじゃなくて安心したよ」 
 「……身内でも、いや身内だからこそ……ホントキモいからそういうこと言わない方がいいよ」
 愛妹なんて思ってもいない、というか存在さえしない言葉を使ったのが悪かったのか、妹は気持ち悪そうな顔でぼくを一瞥して二階の自室に去って行った。あれが出生を先んじた兄に対する態度か。もっともこっちも本来気を使ってしかるべき年頃の女の子に対する礼儀をまったくわきまえない言葉を投げてしまっていたので、今回はおあいこと言えよう。しかし。
 「うん、いいヒントが手に入ったな」
 三羽美琴というワードがいいきっかけになった。せっかくだから今日は昔を慰める散歩にしよう。
 そうして僕は簡単に身支度を整え、最寄り駅から電車に乗った。
 三羽と僕と、そしてその不愉快な仲間たちがかつて暮らしていた医道呉の街に向かう電車に。