本当は欲しいけど、それを明らかにすると軽蔑されるようなもの
TVアニメ 未確認で進行形 公式ファンブック MDS OFFICIAL REPORT
- 作者: ポストメディア編集部
- 出版社/メーカー: 一迅社
- 発売日: 2014/06/20
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
- この商品を含むブログ (2件) を見る
こういった本の中のトピックで、ぼくが特に惹きつけられるのは製作者のインタビューだ。監督だったりシリーズ構成だったり各話脚本だったり音楽だったりキャラデザだったり、ともかくそのアニメを作るにあたってスタッフがどのような心持ち、どのような考えで携わっていたのかということを読むのがとても楽しい。
たとえば、「この話はいいな」「ここの演出はよかったな」と思っていたところが、実際「ここは特に気合いを入れました」なんて書かれていると「あぁやっぱりそうだな、ありがたいな」という気分になる。
しかしこの感情がどうにも嘘くさいな、とも思う。
気合いを入れなければ、必ずいいものが作れないのか。僕は別にアニメ業界に携わっているわけではないし、そもそも創作に際してもそこまで本格的に活動をしているわけではない(皆無ではない、とだけわずかなプライドのために言い添えておく)が、何の意図もなしに適当に描いてしまった、考えた場所が意図せずにうまい絵、演出になってしまうことだってゼロではないと思う。
しかし、受け手側はそういう答えを望んでいない。「私が価値を認めたものは必ず作り手側も価値を認めていないといけない」みたいな感情がどこかにある。なので、それに値する発言を聞くと満足できる。「あぁ、僕がいいと思ったところはちゃんと価値があったところなんだな」と。
しかしこれは要するに自己満足だ。真に結果のみを重視するなら、「自分が印象深く感じた」時点で作り手の意図とは関係なく、自分にとってその部分はすでに価値を認めていいはずだ。にもかかわらず、あえて作り手側が込めた意図を確認したくなるのは、自分の価値観についての担保を求めているのだと思う。「製作者側が力を込めた部分をちゃんと認識し、評価できる自分の価値観」という担保。
ぼくは、人は自分の幸福のためにあらゆる行動をする権利があると思っているので、(それが他人を害するものであっても、それはリスクリターンの秤の問題であると思っている)、この感情自体について別にどうこう言うつもりがあるわけではない。ただ単に、「そういうことなのかなぁ」と頭で考えているなので、この文章を読んで不快に思った人がいたらごめんなさい(不特定多数に読まれるようなブログではないけど)。
人の幸福回路は割と浅ましい欲求に基づいていることもあるので、そこをくすぐることができたら人を幸せにすることも人に好かれることも、たぶんそんなに難しくないんだろうなと思う。ただし、人を幸せにし続けることと、人に好かれ続けることは難しいと思うし、好かれたくない人に好かれてもしょうがないし、やっぱり人生は難しい。
それにしても勉強のしたくなさよ。