反省(C94新刊)

トーン、ベタ入れ時点だけど、まあ終わったようなもんなので。しかし反省するの久しぶりだな… 売上などはイベントが終わった後で。刷るのは最初は70部とかする予定だったけど、たぶん50部。

良かったところ

  • 構成
    • まあそれなりに時間かけたので。ようやくまともな長さ(32p)の話が書けたと思う。まあ元ネタある話だし難は数えても霧がないが、ともあれ形にはなった。
  • コマ割り、ネーム、構図
    • ネーム模写をしただけあって、まあまあ単調にならない感じになったと思う。

反省点

    • ひどい

というわけであとは絵さえまともになればまともな漫画っぽくなる気がする。というわけで下半期はまともな絵で漫画を描くことに集中しようと思う。

初心に帰って1p漫画から始めるのがよさそう。前期はだいぶ棒に振った感があるけど、まあ仕方ない。

そもそも絵自体を丁寧にちゃんと描くというのと、パース、パース定規など。夏休みなのもあるので、集中したい。最後の冬にはまともな本を出せるといいな~。

リズのメモ

チラ裏です 思考のメモとして

何から書けばいいんだろう、何から書いてもダメな気もする。物語というのは大きく2つに分けることができて、実話と創作。実話は起こったことの記録であり、その中に勝手に読者、あるいは語り部が意味を見出す。創作はそうでなくまずはじめに意味があり、創作者はそれを「たとえ話」として物語にする。何故かと言うと人間は感情の生物であり、ある意味を伝達する際に理屈ではなく共感能力を用いて追体験させる方が効率が良いと思われてるから。だと思う。

では創作から創作性(ここでは一般名詞のそれではなく、上で定義した「創作」に従う度合いの語として用いる)を除くと何が残るかと言うと、意味、言い換えると創作者の主張が残る。言い換えるとつまり物語のうまさみたいなものを図る一つの度合いとして、いかに高度な「たとえ話」か、つまり「主張」から遠ざかりしかしなおかつその主張の意味を読者に理解させたかというところで測れるのではないかと考える。

リズと青い鳥は、まあざっくり言うと二人の人間の相互の関係性の対称認識の話。なんでこの映画にしんどくなったかというとおんなじよーな話を(勿論程度としてはこっちはカスゴミみたいなもんだけど というか他人が見てそう思うかは怪しそう 勝手にそう思ってるだけです 気が狂っているので)同人誌で描いたことがあったから。事前情報無し(原作は勿論、あらすじやCMさえも キービジュアルくらいは見た 映画館に入ればそこにポスターあるし…)で見に行って、開幕のトコトコ歩いて音楽室についてこの曲の話がどうのこうのという話を傘木希美と鎧塚みぞれが初めたところで、まあ身も蓋もない言い方をするとオチが読めた。そこから後はひたすら採点というか答え合わせの時間みたいな感じで見ていた。この答え合わせというのは想像したオチが合っているかどうかではなく、もうそれは前提とした上でこういうテーマを描くことについての演出の方法論としての答え合わせ。まあ言うなら一人だけ単元について予習した上で講義を聞くようなものかもしれない。

物語において、糞下の下の下の手法として登場人物に「わたしはこういうことを思っています、いました~」と言わせるというのがある。というかもうこれは手法と言っていいかも怪しい。これを下回るとツイッターの白ハゲ漫画みたいな感じで単に感情アジテートのアイコンとして絵があるだけの主張そのものになる。まあそれはもはや上の定義では物語ではないので除外するとして、一応物語の端くれとしての一歩がこういう(台詞で全てを言う)演出。んで、自分は同人誌でそういうことをやった。二次創作同人誌の読者というのは想像しうるかぎり最も優しい読者で、その本からおおよそ解釈しうる最大の解釈をして、本への印象としてくれる。もちろんそれには元作品のコンテクストの共有という前提が有るからなんだけど、とにかく夏の本でそういうことをやって、一部の人からは良かったよ~~~というお言葉を頂けたりもしたんだけど、後から読み直すと本当に稚拙でなあと自分で思ったのだった。もちろん稚拙は悪いことではなくまあ実質二冊目の同人誌として、生まれたての子供が発する言葉のようなもので、そういったセルフフィードバックをを繰り返してまともな物語を描ける様になってくるんだと思う(その次の本は迂遠に過ぎて感想がほぼ全く来なかった、ちゃんと学びを得て逆方向に振ってて偉い)。

話が逸れた。それでよく見られるのが、物語中の物語、いわゆる劇中劇というやつだけどこれにメッセージ性を委託する手法が有る。物語中の人間にとっては作中空間(深さ1)が現実なわけで、そこで共感するような主張をするには上の理屈でいうとその中でさらに物語にくるんで創作の話を追体験させるしかない。そのお話は読者(現実世界)からみると深さ2の物語になっていると、まあ理屈は通る。アイドルマスターのオタクなのでアイドルマスターの話をすると、本田未央が突然演劇をおっぱじめたりするやつとかはそう。一応僕の同人誌でもその手法を採用してた。今回のリズもそう。探せば無限に例はあると思う。

これは自分の勝手な考えなんだけど、この劇中劇について作中人物が「直接」自分たちの関係のモチーフになっているみたいなことを口にするのは結構きつい。それはそうで、そのために用意された劇中劇なので当然である。まあ筋書きによるとしか言えないと言えばそうなんだけど…あとこの物語そのものの出自についても可能なら実在のものを引用したいという気持ちがある。テーマとなる関係を語るために劇中劇を作ったときにおあつらえ感が苦手。アニメシンデレラガールズ秘密の花園という実在の物語を持ってきていた。これはその部分では正しかったが、難点としてあまりにも高度なメタファーだったというか、まあ展開の無理さだったのかもしれないが、ちょっと自分の中では滑ってしまっていた。自分の同人誌では僕は教養がないので「おあつらえ」の話があったとことにしてやった。死ぬほど嫌だったけど、知らない物は知らないし、そういう物語の検索法もないので仕方がない。リズは実在の話っぽかったしなんか岩波版?かなんかのデザインまで起こしてあったからほーいい話もあったもんだなーと思ったら普通におあつらえ話らしくて図太さにびっくりしてしまった。オーボエとフルート云々も。まあそこをどうにかできてしまうのが「力」なんだろうな、と思った

うーんなんかダラダラしてきた。一番気になるのはこの映画そのものより、これについての評価かもしれない。正直にいうと自分にとってこの映画は完璧ではなかった。完璧な映画なんて無い気もするけど、もうちょっと現実味が有る完璧ではなさで、そこはそうしない、ここはこうしたい、みたいな感じ。もちろん、良いと思うところも沢山あった。良い、完璧ではない、という表現は正確ではないな。一致しているか、そうではないかという方が正しそう。ただこの作品が世間的にどう受け止められたかによって自分の演出感覚を修正できるかも知れないと考えた。僕の同人誌は、まあせいぜい1000人かそこらくらい(pixivで公開したときの閲覧数)しか読んでないと思うし、そもそも二次創作の漫画の演出の巧拙とか、多分誰も考えて無さそう(考えたら今すぐ僕とお話しましょう)。リズについて業界人は結構感想を言ってたりするんだけど、それもそれでやっぱり(数的にも目線的にも)一般的な評価とはいい難い。普通のオタク(とかいう存在がいるのか知らんが)がこの映画を見て、どういう感想を持つのかが気になる。

最後に愚痴みたいなことを言うけど、まあ大体京都アニメーションの綺麗な絵で丁寧な演出でそれっぽい話をやってたら「良かった」とはなるよな、と思う。それこそが京都アニメーションが持っている「力」だし、別に演出の本質的な評価なんて誰にも望んでないし、そもそも誰にも出来ないのかも知れない。最近宮崎駿が石鹸枠みたいなアニメの演出(絶対に絵は描かないで、キャラデザもテンプレラノベっぽい絵柄で)したらみんなやっぱりすごいってわかるんだろうかみたいなことをぼやっと考えたりするんだけど、スタジオや人間によって仕事の範疇も変わる業界は対照実験には向いてないな。それはそうとして自分にも力はほしいなーと思う一方で、力にかまけて良くない本を作るようにはなりたくないなという気持ちがあります。

ちなみに某同人誌は何時になるかわからんけど色々直していつかwebで公開するつもりです。

反省?

www.pixiv.net

まあ反省というか。内容についてのそれは一年前にやってるので、改めてそれをやったこととかの振り返り。

もっかい時流というかアジテート的な力を出せるかと思ったけど作品ニュアンスが微妙に異なるものだったのでおそらくあんまり効果を発揮することはなさそう。

一番評価の高い作品が一番殴り書きというのは気持ち的に微妙だったというのもあるけど、漫画的な構造もあんまりよくないのにそれを改善しないまま絵だけクリンナップするのはまあまあ拷問という感じだった。まあ絵自体は多少ましにはなってるように思えたけど。

結果論を除くとしたらそもそも総選挙が決まった時点で準備できたはずで、勢いで即売会に参加して切迫したスケジュールで微妙な本を出すのと構造的には何も変わってない。まあ今回は直前に外出期間があり難しかったというのもあるが、言い訳はいつだって無限に出来るから仕方ない。

絵が少しまともに近づいていること、顔漫画から抜け出そうと思う気持ちがあること、トーン、ベタじゃなくてタッチを使うとまあまあいい感じになることが確認できてよかったかもしれない。

某件と夏のミリの方に戻ろう。。。というか本当にインプットがなさすぎる

宝石の国 朗読コンサート(夜の部) 感想

三行:

楽しかった

以下長々とした文章

最近記録みたいなブログしかつけてないなと思ったので文章書いてみることにする。声優さん各位について敬称を省略しています。

背景

就活のあれこれで東京にしばらく滞在することになり、とはいえ休日は暇でどう時間潰そうかなと考えてたところツイッターでそういうイベントがあるということ、当日券の販売があるという情報が流れてきたので行ってみることにした。一応オタクなので声優見にいくか〜という動機が70%くらいとあと普通に宝石のアニメは珍しく毎週楽しみに見ていたので、普通に作品イベントに行けるなら行こうかなと思えたのもある(ちょうどsideMのアニメの時期で比較的放送を追うという行動のハードルが低かった。普段は基本的にまとめ見派)。

会場はそこそこの大きさのホールという感じ。こないだ声優ラジオのイベントで行った中野サンプラザホールとほとんど同じくらいの広さ(少しだけ今回の方が小さいかな)だと感じたので行ったことある人はそれをイメージしてもらえればよさそう。普段行く/見るイベントがアイドルマスターのライブで、最近は規模がドームだったりSSAだったりなので基本的に演者が豆粒なことが多いんだけど、これくらいの規模の会場だと、確かに「同じ場にいて一つのイベントに参加している」と感じられる。

イベントの中身をざっと

内容は主に映像を上に写しながら(一部) * (生アフレコ+生劇伴)で放送分の名シーンをピックアップという感じ。これは直積的表現で、つまり例えば今回出演するキャスト以外のキャラの音声などは放送分をそのまま流しながら、出演キャスト分のキャラのみ声を消してその場で演技を当てたり、一部の劇伴(こっちはもしかしたら全部だったかもしれない)を生で披露していた。映像を注視していると一見本放送とあまり区別がつかず、朗読劇であるという趣旨が最初少しわかりにくいと感じた(極論を言えば、声優が口パクしていても気付けなさそうだな、みたいに思った)。途中から映像の口パクと演技が少しずれる瞬間などもあり、その際に「ああ、今この場で当ててるんだなあ」と実感できるという感じ。逆に言えば口パクレベルでずれてもカットの切り替わりに食い込んだりみたいなことはほとんどなかったと思うのでプロの尺管理、記憶能力はすごいということでもある。演技らへんについて詳しくは後述。

今回のイベントのもう一つの要素として生劇伴、そして主題歌のライブというものがあった。まず劇伴だけど、日頃劇伴というものを「音楽」としてあまり認識していない(それはそうで、基本的にBGMというのはシーンにあった感情を盛り上げるための黒子であり、曲そのものの存在感を持つのは微妙だと思っている。それはそれとして改めて聞き直して好きな曲は繰り返し聞いたりするんだけど。浜口史郎とかが好き)と思うんだけど、まず劇伴の音楽がちゃんと目の前でピアノやらバイオリンやらチェロやら(楽器の種類は違うかもしれない)で演奏されているという体験は新鮮でよかった。途中から朗読劇に集中してあまり気にならなくなってくるんだけど、ありきたりな表現だけどBGMだって一つの曲で、人が演奏しているんだなということを再認した。

OP・EDライブについて。特に宝石のOPはかなり好きで、変わったテンポと退廃的かつ透き通ったようなメロディーが凝ったOP映像とあいまって作品世界を表していたと思うんだけど、カラオケで歌ってみるとこれが実に難しくて、それでもちゃんと歌ってたのでさすがプロは違うなあと思った。可能ならここも生バンドで揃えて欲しかった気持ちがあるんだけどそうはならずそこは残念だったかもしれない。全体的に完全に生でやるというよりは重要な部分だけを人を集めて生でやるという形になっていて、それはコストパフォーマンス的には間違いなく正解なんだけど受け手側としては徹底したものを体験したかったなと少しだけ感じた。

アンタークらへんの話が終わってフォスフォフィライト(黒沢ともよ)の特殊EDの生披露(これは伴奏含めて全てが生だった)が終わったところで挨拶を挟んで最後に軽いトークコーナー。最初は劇が終わった後挨拶でそのまま終わりかと思ったので「ストイックなイベントだな〜」と思ったんだけど、思わぬ旨味があってよかった。トークは作品、演技、今回のイベントについての話を冗談なども交えながらわりと軽いノリで色々話すという感じ。アイドルマスターのイベントで見たことがあった黒沢ともよ以外の声優は生で見たのは初めてだったけど、佐倉綾音はよく映像ありラジオで見てたので「おー佐倉綾音だー」という幼稚園児みたいなお得感を味わえた。佐倉綾音が主にトークの軽い部分を担当してくれていて、このイベントでは聞けないかと思ってたオタクの冷やかし声とかが聞こえてくるような展開もあり、そういう側面でも最低限のバリューを確保してくれるのは偉いな、と思った(何様目線なんだ)。特に次の展開とかの発表はなかったんだけど、円盤とかの売れ行きはどうなんだろう。少なくともなぜか宝石(実物)はそれなりに売れたみたいな話は流れてきた気がするが…

演技などについて

当然のごとく一番多くセリフがあったのは黒沢ともよなのでまずその話を。以前から黒沢ともよの最近の演技(主にユーフォの黄前久美子、宝石のフォスフォフィライト、あとまあ加えてバンドリの奥沢美咲など)はかなり舞台の方向に寄っているな、と感じていた。情報量が多い反面、演技として「綺麗」(ここでは、ツルッとしている、テンプレート的な演技の意)ではないので一般的なアニメにはなじみにくく、使い所が難しいみたいなイメージがあった。逆を言えばこういう黒沢ともよにこういう演技をさせるとき、それは量産される一つのアニメーションではないような作品を作る、という意思表示みたいな感じがする。ちなみにそういう演技も一般的なアニメーション演技もできるのが悠木碧かなあと勝手に思ってる。黒沢ともよも有栖川おとめ(アイカツ)だったり赤城みりあ(シンデレラ)などもやってたりするのでそういう演技もできないわけでは全然ないんだけど。

それでその舞台に寄った演技をする黒沢ともよにとって、このような演劇とアフレコの間のような朗読劇というのはまさにうってつけの場所だったと思う。特に印象的だったのは出番前のライトが当たってない時点での入場の歩き方で(出番によって演者がステージに出たり入ったりする)、少し大げさな行進のような歩き方がまさにフォスフォフィライトのように見えたところで、「ああ、そういうところから(演技を)やってるんだなあ」と思った。最近の2(.5)次元ライブなどに代表される声優を通してキャラクターを感じるようなイベントの場ならそういうことはまま見れたりするんだけど、あくまで「演じる場」である朗読劇というシチュエーションでもそういうところを見れたところにある種の哲学を感じたかもしれない。それ以外にも、例えばウェントリコスス殻からフォスフォフィライトが復活したあと、激しく怒るシーンではほとんど映像と同期しているかのごとく身振り手振りを交えながら演技していたりしていて、声優も「演者」の一種なんだなあと感じさせられた。もっとも今回衣装も作中の宝石たちの衣装に寄せたものになっていたりして、2.1次元くらいの要素があったというのもあるかもしれないが。中田譲治は袈裟着てたし。

もう一人今回特にうまいなと思ったのが茅野愛衣。もちろんセリフが多かったというのもあるが(シンシャ(小松未可子)、ボルツ(佐倉綾音)は出番が比較的少なかった。最後のトークでその辺を自虐する下りもあったりした)、こちらは演技の安定性、再現性という観点で今回出ていた人間の中で最も優れていたように感じた。必要な分の情報量を残しながら、安定した質の演技を何回でも、どんなシチュエーションでもアウトプットできるみたいなイメージ。もちろん声質的に激しい感情演技を求められることは比較的少ないのかもしれないが、こちらは単純に声優としての力量みたいなところを生で見られたと思った。

総括

こういうイベントは小学生のときガンダムSEED DESTINYのやつに行ったっきりだったんだけど(大阪城ホールでなんかやってたやつ、あんまり記憶ない)結構楽しめた。まずやっぱり集中してもう一度作品のことを考え直す機会としてとてもいい時間だったと思う、最近集中力がなくなってきているので、日常を離れて映画館とかこういうイベントのような、作品のこと以外は考えなくて良い、むしろ考えてはいけない空間に閉じ込められて物語に集中するという体験ができるのは良い。
声優の演技についても、生で見ることでやっぱり色々な刺激があった。どうしてもコンテンツライブだと楽曲を音楽的に楽しむことに演じ手受け手双方のリソースが割かれてしまうことがあり、純粋な演技そのものを味わえる場としてはこのようなストイックなイベントが良いように思う。最近は情報ではなく体験の時代ということは結構言われていて、たとえばアーティストとかも近年は音源の売り上げではなくライブの興行でお金を得ているみたいな話を聞くんだけど、アニメについても同じことが成り立つと考えていて、ちょうど音源とライブの関係がアニメーションと朗読劇の関係に対応する。その場で人間が演じるというライブ感と演技の相互作用によって醸成される空間の緊張感、そしてその場を共有しているというある種の一体感の価値は大きく思えるので、今後こういう形態のイベントが流行っていってもいいんじゃないかな、と思う。もちろんそれに耐えられるような作品である必要はあると思うけど……

まあ結論としては楽しかったです。佐倉綾音がニーソっぽいタイツ履いてて、話の展開的にその辺りがズームで映されるシーンとかあって美味しかったなって思う。最後に台無しの感想だ。

創作の前半(夏コミまで)の方針

受かるかどうか走らないけど(サクカが汚かったのでなんか落ちそうな気もする)、ひとまず基準として。

最低限仕上げなければならないやつ

  • 合同のやつ
  • 自分のやつ

できれば仕上げたいやつ

  • 一昨年の冬のリメイク
  • 可能ならその後のMBFのリメイク

並列に進めるのは気持ちの落ち着き的にも良くないので、それぞれの仮納期を設定して直列でやっていきたい。優先度、順番はおおよそ上の通り。

合同のやつのプロット 少なくとも仮完成版を4月中に。それまではインプット以外pending

5月から自分のやつを再始動。gdったままなんとなくネーム書いても仕方ないので、各パートごとにプロット構成してネームを逐一上げる。およそ4パートと見積もったうちの1だけ終わってるので5月で2パート、6月前半で1パートを目標にする。その後作画、修正など。

可能ならリメイクをしたいので出来る限り巻きでやりたい。

インプットだけど、これは月ごとに課題を決めて集中してやっていこうと思う。

ひとまず4月は人体のパースと服の皺に集中することにするか。

前年度総括と来年度方針

去年は春先死にかけてたのであんまりこういうことできてなかった。なんだかんだ春休みも落ち着いた時間ほとんど取れなかったので区切りも兼ねて振り返ったり来年度の計画だったり。

創作

まず昨年は思ったよりインプットに失敗したという気持ちがあって、小さなオンリーに出過ぎた(3回)。もちろん活動が盛んなのは良いのだけど、今はあくまで今後の長い生活においてコンスタントに漫画が描けるようになるためのインプット期間だという風に認識を改めたい。

よって今年は基本的にオンリーは出ないようにする(コミケの既刊処分の名目ならあるいは、くらい)。あとはコミケ用の原稿を継続して進めるのと同時にインプットもしておきたい。特に、

  • 背景を含めたコマ全体の整合性
  • キャラにパースがかかった構図
  • トーンワーク、ベタ入れの技術 服のしわ、陰影など
  • スピード

あたりを重点的に練習したい。メニューと時間配分などはあとで考える。

それとは別に出力に関しては大まかなスケジューリングはすでに自分の中で定まってるのでそれに従う。

研究

ほどほどに。あんまり奨学金を狙う気はないので大学側のペースにのまれないようにうまくやっていきたい(できるんかな。。。)

技術など

基本的には労働後に回すつもりだけど創作の息抜きで研究がやりたくないときくらいならやってもいいかなあ、という感じ。小さなwebアプリケーションでもコツコツ盆栽していくのがいいかな。

その他

健康上のあれこれについては今年中に解決しておきたい。就活が終わったら時間も取れると思うので。。。

去年は正直かなりグダグダになってしまったけど基本的には月一くらいで振り返りをやりたい。いよいよ残り一年なのでやっていきましょう。

反省

シンステの反省

www.pixiv.net

当時できなかったことを「やっておけばよかった」と後悔するのはナンセンスなのでそういうのはなしで。とにもかくにも出したということでまずはその結果を認める。

まずオンリーに申し込むということに自体について。これまでオンリーに参加表明しては微妙な本を出して後悔するということを繰り返している。今回のやる気の出なさ、ネームのまとまらなさが事故だったとできるかどうか。それを置いてもシンステレベルの場なら価値があると思う。それ以外の小規模オンリーについては今年はインプットもしたい年ということで今年は見送るとする。

本について。ペン入れが絶望的に下手くそなので、少なくともコピー本という媒体においてはもう少しラフにやっても良かったなと思った(本質的な解決ではないが)。

まあこれくらいか。後は意義がある内容じゃないとそもそもモチベーションが厳しくて最後までクオリティを保つことが困難になるので次からは良いものを描こうね、という話

今年度最後の作品がこれかぁ…という感じだけど逆に来年度に食い込まなくてよかったとも思えるかも。ついにあと一年になったのでやっていきましょう。