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朝起きると母から電話が入っていた 折り返すと祖父が急に亡くなったということだった
すぐに実家に引き返したけど、すること無くてそもそもまだ風邪治ってなくてひたすら熱出して寝てた
なんか町内会的な人が訪ねてきてひたすら好き勝手話して帰っていった 本当に勘弁してくれ
多分これからまず色々なことでごった返すんだろうけど、あからさまに一番めんどくさそうに思えた
いい機会なので祖父の話を少し思い出してまとめてみる
昔(まだ親が離婚していない時期)は結構平等に行っていたつもりだったけどそれでも母方の実家に遊びに行くほうが多かったと思う 結構な確率でいとこたちとも会えたので兄弟のいない自分は結構楽しみだった。
自分が小学生の頃に一度入院していたのを覚えている そのとき私はゲームボーイを握っていた気がするから結構昔だ
そのころからよく肩をつかむ人だった あの人の中で何かしら意味のこもってた行為だったのかもしれない
中学生くらいのころ、あまりにどうしようもない人間だったころ、一度諭されたことがある 基本的に祖父母は甘々だったので結構衝撃だった あの頃は一番家庭も荒んでて父が精神がアレになってて(今は結構治ってる)お先真っ暗感あったから仕方ないかもしれない
離婚が決定したころに、釣りに連れて行ってくれた事があった なんか気遣ってくれてるなぁというのは伝わってきていた まぁ釣りは釣れなかったけど というかそっから一回も行けなかったけど
自分が大学に合格したときはかなり喜んでくれていたように思う 今でこそ、そして当事者だからこそ別に受験勉強してたら京工とか……って感じだけどやっぱりネームバリューは偉大だったようで超喜んでくれた 京大合格おめでとうなんてでかでかと筆で書いて部屋に張り付けていたんだからまぁ結構相当である 家族の誰よりも喜んでいたのではないだろうか これに感じては受かってて良かったなぁと思う
一度危篤になって駆けつけた事があった 明らかにやばい感じで集まった親戚にも悲壮感が充満していたのだがなぜかそこからは帰還した しかしもうあんまり長くなさそうだなとは感じた
その後は家に帰っていた 挨拶くらいしか特に接点はなかったけど、なんか普通に過ごしてた気がする そしてまぁ急に亡くなった
悔いはあるかと言われればそれはあるんだけどさすがに急死を予測はできないので仕方はない なんか夢に出てきたのでお疲れ様的なことは言った気がする お酒を一緒に飲めなかった、というか成人のタイミングを待てなかったのは残念かもしれない
年をとって隠居っぽい生活に引っ込んでくれたあとから色々初めてて結構楽しそうだった 形見っぽくなるのはなんと太鼓の達人用のバチである 移り気で色々やってみるところは受け継いだのかもしれない
それよりこれから心配なのは祖母である 何かを支えるというのは負担であるが依り代でもある 元々少しおかしくなりつつあったような祖母が、果たしてこれを乗り越えて元に戻れるだろうかと思う まぁ母が同居してるからまだマシではあるかもしれないけど、元に戻るまでにもつだろうか
心配といえば母も心配である 仕事がアレな時期にこの一番ヤバイ感じの行事(?)が入って大丈夫かいなと思う やっぱり手伝えるところは支えないといけない感じだ そろそろ成人だしいつまでも木偶の坊やってるわけにもいかない
話が横道にそれたけど、まぁとにかく良き祖父であったということは間違いない ただ、交流が少し少なくて残念だという思いがある 言うほど少なくはなかったけど
念仏を聴いてる時にでも今までのメモリアルを振り返りながら悼もうと思う とりあえず一人の人間と孫として、お疲れ様でした、できたら見守っていてください、と言う
安らかに。