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なんか書きたかった

綺麗で丁寧な文章を書く作家さんのブログを読んでいたく感動したので、頑張って丁寧にブログを書いてみようと思う。
今日(7/26)については寝坊した、ということ以外に書くことはないので、そのブログを読んでいる途中に心に浮かんできた自分の読書歴について考えてる。

昔から本を読むことは好きだった。なるべく昔の記憶を辿ってみるとベッドで母が外国の童話を読みかせてくれた映像が浮かぶのだが、当時住んでいた家にはベッドはなかったはずなので捏造された記憶だと思われる。それでも母が色々な物語を読み聞かせてくれたという事実自体はおそらくあったと思う。
物語を図書館の貸与枠いっぱいまで借りていたので全てを思い出すことは出来ないが、今でもパッと思い出せるほどに印象に残っている作品でも数個列挙してみよう。

ハリーポッターシリーズ

最初にシリーズ一作目の「賢者の石」を読んだのは小学校1年生の冬だ。母方の実家は当時東吉野村という奈良の片田舎にあり、そこに帰省してこたつでゴロゴロと寝転がっていたときに母が、今すごく流行っている本だから、読んでみてはどうか、と手渡してくれた記憶がある。
正直な第一印象は「おもしろくなさそう」というものだった。今でもこれは思うのだが、お世辞にも表紙の絵はうまいとは言えない。どころか、正直に言って何を描こうとしているのかも分からないレベルだ。作品を読んだ後にもう一度表紙を見たら、やっと1mmくらいは理解できる気がしなくもない。
加えて、本の分厚さも食指の動きを鈍くさせた。面白いことが確定している本ならボリュームはむしろご褒美となるのだが、そうでない場合単純に労力だけが消費されることになる。骨折り損のくたびれ儲けはできれば避けたいと思うのは自然だろう。
しかし、今まで母が進めてきた本の中にハズレはあまりなかったので、そこは審美眼を信用して結局は読み始めた気がする。もしかするとその実家に持ってきた他の本が全て読み終わってしまったからだったかもしれない。とにかく、食わず嫌いはしなかったわけだ。
それで、ハマった。
今でも僕は賢者の石がシリーズで一番好きなのだけれど、その理由は以下のように分析している。
一つ目の理由として、幼い僕が抱いていたシンデレラ願望のようなものを満たしてくれたというものが考えられる。当時読んでいた本の内容は大体「なんか少年がどーたらこーたらしてうんたらする」みたいな内容で、もちろんそれ自体も魅力的であったことに違いはないのだが、いずれの主人公もほとんど「ただの少年」だった。
親戚にひどい迫害をされながら育ったハリーが、実は伝説の魔法使いの子供でしたー、というのが賢者の石の始まりなのだが、この「主人公が実は◯◯だった」という系の話を初めて読んだのがこれだったのだと思う。これで「生まれ」に対する羨望のようなものがとても満たされた。努力で勝ち取るものではない、はじめから約束されている圧倒的な優位。まずそこがとても新鮮で良かった。
次に魔法世界の描写がかなり現実に迫るものだった、というのも大きいファクターだろう。いわゆる子供だましの魔法世界はなんだかよくわからない世界で、とりあえず魔法がつかえるという設定以外は何も決まっていない(または明かされない)ことが大半だったが、この本の魔法世界は入り口が公衆電話ボックスだったり駅のホームだったり、また中にも銀行や魔法省というものまであったりして一つの社会システムがそこには描かれていた。
そういう完成した世界感が本当に物語と現実の間をよりシームレスにしてくれたのだと思う。

思い返して感想を書いていると、もう一度読みたくなってきた。何しろ莫大に売れた本だから同世代のほとんどにも話が通じたし、ある意味世代を代表する作品かもしれない。
シリーズ完結作が出たのは中2、3の頃だった気がするから、なんだかんだで10年近く触れていたんだなぁ。最後の方はなんか「結末を見届ける」ために読んでいた気がするけど、それでも十分おもしろかったと思う。

今なら頑張れば原著も少しずつ読んでいける能力もある。少し調べてみたところどうやら邦訳にも少し問題があったようだ。
新しい本に触れるのと同じくらい、古い本を読み返すのも面白い行為だと思う。こっちは展開に新鮮味がない代わりに、面白いことが確定しているというメリットが有る。

何冊かの感想を書くはずだったけど、一つで燃え尽きてしまった。文章を書く体力がまだついていない。
気が向いたら、また今まで読んだ本について書くのもいいかもしれない。