脚本とかなんかその辺について

なんだか最近こういうことについて考えることが多いので、まとめてみる。多分散文的で構造性を書いた文章になるし、言語化するにしたがって嘘になったりするけど、一度思考を整理しておきたい。

僕がアニメだり小説なりあるいは漫画なりを読むときに一番何を重視するかというと「ストーリー」だ。「つまりは何がどういう風に起こって、それによって何を感じた」ということが大事で、それ以外、たとえばキャラがかわいかったとかは僕にとっては副産物的なものになる。もちろんひたすらに「キャラの可愛さ」を伝えることに心血を注がれてる作品もあるし、そういうのも好きなのだけど、アニメの女の子というものは基本的に整った造形をしていて、ただ生きているだけでそれ相応にはかわいくなるようにできている。なのでただ単にくっちゃってべってるだけでも画にはなってしまうのだけれど、そういうのはなんだかなあ、と思っている。

アニメというのは多くの人が関わるプロジェクトで、作業はかなり役職毎に専門化されている。今ちょうどそういうアニメ(つまりアニメがどういう風にできていくかを描いたアニメ)を見ているのでわかるのだけど、例えば「何を見せるか」と「どう見せるか」を考える人はもう違う人だし、「何を見せるか」もその階層によって考える人はやはり違う。もうちょっと具体的にいうと、「学園ドラマで恋愛ものがやりたい、それにあとこういう要素をつけたい」というレベルのアイデアを出す人と、実際に「主人公がこういうキャラでこういう事件が起きて……」というレベルのアイデアを出す人は違う、ということだ。前者は主に監督といわれる人がやることで、後者は脚本と呼ばれる人がやる仕事だと思っている。長い作品だと、シリーズ全体レベルの脚本と、一話一話レベルの脚本を考える人がまた異なってくることもある。その場合は前者の人を「シリーズ脚本」、後者の人を「各話脚本」という風に呼ぶ。まあ、そのままだ。

昨日、「楽園追放」というアニメーション映画を見て、とても面白かったのだけど、そのあとNewTypeのインタビューでその映画の脚本をした虚淵という人がこういうことを言っていた。 少し意訳になるが、

実際お客さんの目に入る物語を作っているのは絵コンテさん(アニメで実際にこういう画面になる、という大体の構成をする人)や、演出(絵コンテのを前提にして、その部分の演出を考える人)さん、そして監督さんなんです。彼らにインスピレーションを与えるためだけに脚本家というものは存在する。

そういう(監督さんや絵コンテさんのような)人たちを興奮させて、「これは作りたい」と思わせたらそこで自分の責任は終わる。基本的にお客さんのことはプロデューサーと監督が考えてくれるので、僕(脚本家)はお客さんのことを考えている彼らのことを考えて仕事をすればいいんだと思うんですけどね。

これは僕にとって新鮮な話であると同時に、確かにそうだな、とも思ってしまった。 今まで僕はまず脚本があって、それを描く手段としてアニメ、その中の演出があるという認識だった。最終的に視聴者に好意的に受け止められるかどうかは運みたいなもので、まず「こういう話を書きたい」と思った人が話を書いてしまって、あとでそれをいかに表現するかというものを考える、というフローを想像していた。つまり、流れとしては一方通行のイメージだ。 ところが、この言葉からすると実際は双方向、つまり実際に僕ら視聴者の目に触れる末端からの逆算からのアプローチも絡んでくるということだ。 当たり前みたいな話だけど、物語というのは読んでもらわないと産まれた意味がない。どれだけ崇高なテーマや濃密な展開、哲学が込められていても、頭の中に入れてもらえない限り、初めから存在しないものを何も変わらない。 アニメというのはどうしても「押しつけ」るしかない。たとえば同人誌とかならテーマへの興味、ジャンル内での共通理解などを前提に理解を求めることができるけど、オリジナルアニメーションというものはそういうものはなく、ただ一瞬の映像一つ一つのみが作り手側から与えうる要素なのだ。

何を言いたくてこの文章を書き始めたのか失念してしまった……けど、とにかく「最終的にどういうプロダクトになるのか」「それを受け手側はまず受け取ってくれるのか」を前提としてはじめて「どういうものを込めたのか」の話だなという風に感じた。ということを残しておきたかった、はず。

最近絵描きの知り合いとちょっとした小話の話をしたりするときに、「それきっと面白いし、僕が絵を描くからもうちょっと話を詰めてきてよ」と言われることがちょこちょこあったりするのだけど、実際にじゃあ考えてみるかとするとなかなか詰められなかったりする。なんとかまとめてみても、「うーん、話を聞いているときは面白そうだと思ったんだけどな」という風になってしまう。 そういう現状があったりしたので、結構その辺りを考えることができてよかったと思った。物語は面白くないと存在価値がない、と言ってもいいんじゃないだろうか(もちろんこの「面白い」はかなり広い意味だけど)。 まあ二行でいうと「楽園追放」面白いから見ようってことと、みんな同人誌描こうってことです。