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みんながイライラするのは虚栄心が悪い!

きょえい‐しん【虚栄心】
自分を実質以上に見せようと、みえを張りたがる心。「―が強い」

 サークルという団体形式がある。大体のサークルは、ある目的のもとに自由意志で人が集い、形成される。たとえば漫画研究部なら漫画に対する知見、体験を深めたいという目的があるだろうし、SF研究部ならSFに対して同じようなことを思っている人間で構成されていることだろう。
 多くのサークルは部活動とは明確に区分される。違いとしてあがるのは、ストイックさである。部活動の構成員にはたとえばある大会や賞などに向かって進む意志やある程度の技術が必要とされることが多い。入部に対してセレクション(入部試験のようなもの)を設けているところもある。また、部活動は(少なくとも国公立大学において)予算が支給される。割ける労力やお金、その他リソースの観点から考えても、モチベーションが比較的低い人間をふるい落す流れになることは、納得ができる。
 比較して、サークル活動というのは、もともと何の基準もなく有志が集まって団体の体を成したものである。なので、構成員に必要とされるのは究極的に突き詰めれば、部費の納金くらいではないか。よほど明確な行動目標があるサークルでもない限り、基本的に内部での活動は自由意志に任されている。誰も「非積極的な部員」にかまわなければ、彼はサークルに対する一つのATMとして働き続けてくれるだろうし、それに異存があるものがいようはずもない。
 しかし、ここで問題となる感情がある。かの悪名高き虚栄心である。
 団体の人数がある程度以上になってくると、当初サークルが目的とした方面へのコミット度(ここでは仮にこの度数を「サークル力」と呼称する)へばらつきが出て来る。
 サークル自体の「能力」を浅薄にもサークル民のサークル力の平均であると考えるとき、最低でも一人は平均のサークル力に劣るサークル力でいるわけだ。
 私たちが他の人間を評価するとき、所属団体の「能力」を無意識のうちに物差しとして使ってしまうことが多い。例えば、「仮にも京大生なんだから……」という前置きはスケールの差こそあれ、誰しも耳にしたことがあると思う。人間は多面的な生き物であり、正確にその人物を評価するのにはかなりの長い期間を要する(もしかすると、永遠に不可能かもしれない)。会っていく人間に対していちいちそんな気の長いことをしていくわけにもいかないので、よりわかりやすい物差しを使うわけだ。就活における学歴フィルターのようなものだ。
 さて、この場合、得をしているのは誰か。それは平均サークル力より低いサークル力を持つ、サークル民である。彼は自分の持つ能力以上の評価を(少なくとも自らの本当の能力を理解されるまでは)持つことができる。これに対して是非はない。単にそうなっているという話である。
 これに対して、上位サークル民が怒りを覚えることは、実は少ない。というのも上位サークル民は世間からパッと見で評価される以上の能力を持っているので、問題としないのだ。世間に理解してもらうにはアピール力のようなものが必要になってくるかもしれないが、少なくとも内面的には問題は生じない。
 ではこの状態に対して、一番怒りを覚えるのは誰か。自分はそれを平均ギリギリ(主に上)の位置に存在しているサークル民であると考える。
 この位置にいるサークル民は、以前は平均以下の位置にいたが、団体の能力が一時的に下がったことにより、その位置へ間接的にレベルアップしたものが多いと思われる(個人の能力自体が下がることは稀である)。その間も当人は不断の努力を続けていたはずである。団体の名に恥じぬ構成員であろうと。
 そして、努力の結果「平均以上のサークル力」の地位を獲得したのち、当人が考えるのは何か。
 「サークルの能力向上」である。
 「平均以上のサークル力を持った」という自覚はサークルの平均サークル力の推移に同期しない。すなわち一度自覚してしまえば、あと団体のレベルがどうなろうが(よほどでない限り)自分はこのサークルの平均以上の力を持っている、という認識を持ち続けることになる。
 そうするとどうなるか。彼はサークルのレベルを必死に保とうとするだろう。何しろ必死の努力でやっと得た「名に恥じぬ構成員」の地位も、サークル事態の評価が下がってしまっては元も子もない。可能な限りサークルのレベルをあげ、その高名な名に恥じない人間と評価されてこそ、初めて彼は至上の幸福を味わうことができるのだ。

きょえい‐しん【虚栄心】
自分を実質以上に見せようと、みえを張りたがる心。「―が強い」

 そう、これが虚栄心である。当初は純粋で自由だったはずのサークルという集まり。それが彼のあゝなんと悲しい感情によってかくもギスギスしてしまうのだ。虚栄心を憎んで人を憎まず。これこそが諸悪の根源である。
 結論として、サークルという集まりでもし以上のような問題が発生したときは、団体の始まりの目的を思い出してほしい。それが部活的なら、そのような問題が起こるのは仕方がないといえよう。だが、それがサークル的、つまり「好き」という気持ちのみで始まったものなら、構成員同士で腹を割って話し合ってみるのがいいだろう。虚栄心は恥ずべき感情であるが、駆逐することはきっとできる。原初の理念に立ち返り、各々の団体構成員の意識を再認識することは決して無意味ではないはずである。
























何書いてんだろ…………