ひとりごと

ヨーグルト丼を食べて気持ちが悪い。ヨーグルト丼というのは、どんぶりにプレーンヨーグルトを一つ(450g)まるごと入れて、砂糖やら水飴やらカルピス(原液)やらナタデココやらを入れて出来上がるなんだかよくわからないデザートで、受験生時代に発明して当時は結構な頻度で食べてたんだけど、最近ご無沙汰だったので今回の帰省で食べようと思って作って食べた。この気持ち悪さまでがヨーグルト丼の醍醐味なのである。

何かしたかったけど何もできないので文章を書く。今日は受験生に戻って高校時代好きだった人と二人で勉強する夢を見た。夢の中の僕の知識はだいたい今の僕の知識とリンクしてて、要するに受験知識がほとんどまるごとぶっ飛んでるわけ。そのことにちょっとしてから気づいて「おいおいこれヤバイだろ受かるわけないわ」と思ったことが割りと印象に残ってる。あと好きだった人の顔も。

これまでの人生で受験は二度経験している(学校単位ではなく、機会単位)。世間では少数派であろう中学受験と、大学受験だ。せっかくだからこの辺についての思い出でも語ろうか。

この辺りのことを語るには僕に施された教育の歴史を遡らなくてはならない。たしか3歳か4歳ぐらいに通わされはじめた公文式が僕の教育の1ページめである。覚えていることは2つで、何か迷路をなぞるプリントをさせられていたことと、終わったら飴を持って帰ってよかったこと。そういえばあの飴はプーさんの缶に入れらていたなぁ、と思って戯れに「ぷーさん 缶」で検索すると簡単に見つかった。Googleはすごい。
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件の缶。

この公文式に通いだしたのは僕が愛知県日進市に住んでいた頃で、小学校に上る前に奈良県に引っ越した。そこでもしばらく以前通っていたのだから、っという理由で公文式に通い始めたんだけど、そこのボスであるおばちゃんがなんだかすごく嫌なやつだったのと、プリントというタスクが大量に降ってくる体制に嫌気が差してやる気がだだ下がりした。その旨を母に伝えると、「駅前の塾はどうか」という案を打診された。「駅前の塾」は午後五時半スタートで、たとえ塾の曜日であっても友人と遊ぶことができたし、(公文式は確か午後三時スタートで、その日は遊ぶのを我慢していた気がする)変更することに異存はなかった。そして小学二年生から僕は「駅前の塾」に通い始める。
あ、そうそう。奈良県の公文式で良かったことが一つだけあって、それは近くの喫茶店の角砂糖が美味しかったことだ。終わった後の母との待ち合わせ場所がその喫茶店で、訪れたときにいつも角砂糖を失敬していた。あれだけは良かったな。

さて、「駅前の塾」(めんどくさいので以後「塾」)に通い始めたわけだけど、ことはそううまく行かなかった。タスクさえこなせば問題がなかった公文式と違い、塾には進度というのがあり、授業というのがあり、小テストというのがある。単純な負担で言うと、むしろ増えたようなものだ。しかしながら僕は塾生活に楽しみを見出していた。それは塾では友達ができたからである。
別に今までコミュ障だったから友達ができなかったというわけではなく、公文式は個別単位での教育なため他生徒と交流する機会がなかっただけである。ともかく新しい友人が増えて嬉しかったししばらくそれなりに塾をこなすようになる。
5年生くらいになった頃だろうか。僕と親と講師の三者面談で「中学受験はする方向でいいんですね」という意思確認みたいなことをされた。この言い方がなかなかミソで、僕は「あぁ、親と講師の間では僕は中学受験する方向になってるんだな」と思い、親は「この子と講師の間では~」と思ったらしい。塾では五年生から中学受験コースと高校受験コースでカリキュラムが別れるようになっていて、有り体に言えばまぁ、高校受験コースは中学受験コースの劣化互換みたいなものだったので、「気が変わったら途中でシフトすればいいや」くらいに考えていた。
結局、途中でシフトするということはなかった。厚顔無恥に言うと僕はそれなりに優秀な生徒だったので塾側は合格実績のために僕を中学受験させるよう結構な意思誘導を行っていたように思う。別にそのことを恨んでいるということもないのだが。

別に受験なんて承認欲求を満たすものぐらいでしかなかったので、受かった中では一番偏差値が低い、そして一番家から近い私立中学校に進学した。あと、その学校は残り合格した二校と比較して学費その他が圧倒的に安かったのもある。当時家の状況がちょっとアレだったので(今も良好と言えないが)そのあたり子供なりにとはいえ気を使ったわけだ。そして成績TOPか二番目かで入学した僕は入学式でDEATHNOTE夜神月くんみたいな感じで宣誓文を読んだ。
ところがどっこい、入学して最初に行われた実力テストで驚きの46/63位を取る。アレには焦った。イヤイヤ、小学校の勉強と中学からの勉強は違うというけど、まさかここまでとは……と思った。今から思えば家での勉強を全く強制されなくなったことが原因な気もする。そんなわけで二年生になるころには成績下半分クラス(一学年二クラスしかなかった!)に突き落とされた。その頃には「あぁ、勉強が僕のアイデンティティだった時代は終わった。これからはこんなもの気にしないでいこう」という謎の方向に意思を固めた。
そのまま高校二年生の半分くらいまで、延々と底辺に座り続けていた。どれくらい底辺かというと古典の科目では進級を危ぶまれたぐらいだ。
さて、そろそろ受験というところになって、さすがにこのままだと死ぬな、と思ったので勉強を始めることにした。実は中3から塾に通い始めてもいたのだが、あまりにもやる気がなくて毎回小テストが終わる時間チョッキリに遅刻しては、講義は寝倒すという最悪な態度だったので、一度退塾を勧められてるレベルだった。しかしながら学校のテストというのがどうにもやる気になれない。そこで数学の教師に「次の模試に出そうなところを教えて下さい」と言って、教えてもらったとことを勉強した。
そうするといきなり模試の校内順位がすごいことになった。実は僕の学校は少しアレで、学校の成績がそのまま受験の実力というか模試の成績に反映されない形の教育を行っていた(と僕は思っている)。なので学校の成績がいい連中でも模試となるとサッパリで、これがうまいこと噛み合っていい結果に働いたわけだ。
そうなると気分が良くなり、どんどん勝手に参考書を買って勝手に勉強した。するとどんどん模試の成績も良くなり、いつの間にかよくわからない立ち位置まで来ていた。中学受験の時もそうだったが、成果と承認欲求の上昇のループはうまく働くとすごい効果をもたらし、結果なんとか受験に間に合った、という話でした。めでたい。

今回の反省

文章を書く体力がないと竜頭蛇尾的な感じになって哀れなので頑張りましょう。
おわり。