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キャラクターを生かすということについて

天海春香を狂気的に愛している人のブログを読んでたいそう心を動かされたので、ここにその時考えた内容を記録しておこうと思う。
ほとんど某先輩とのSkype会話ログになる気がする。

(その人の春香への愛を語った抜粋文について)

愛だ これが愛だ……って感じ
そうか愛って旗からみたら気持ち悪いくらいのもので当たり前だなぁ そんなエゴとか通り越してただ幸せとかを願ったりすることなんだなぁ 醜いけどなんと尊い感情なんだろう、って感じ

ただひたすらキャラへの愛が書かれていて、それを読んで感動した。一歩間違えれば本気で引いてもおかしくないくらい一キャラへの愛情が綴られていて、ただその愛情の量がすごいと思った。実在の人間にもあれほどの愛情を注いでる人は見たことがないと思う。それを受けての発言。

なんか、もっと真剣にいろんなキャラクターに向きあおうと思わされた
展開の役割上の存在だけじゃなくて、ひとつの存在としてのキャラクターをもっと考えてあげないと、と感じた
人が生きてたらそこにドラマは生まれるので、本当はお話を考えるなんてことはしなくてもいいのかもしれません

最近お話を考える機会があって、自分はキャラクターの関係性から話の構成を組み立て、もう一人の先輩は先に物語を作ってそこにキャラクターを当てはめた。
自分は人間ドラマが好きだからどうしてもそっち寄りの視点になってしまうんだけど、やっぱり人間の関係と心情より面白いものはないと思う。だからこそ、ちゃんと「一人でに動ける」ようなキャラクターを構成したいと思う。二次創作の場合は、そのレベルまで読み込んで理解を深めたい。

好き と 理解 は違うのかもな、とこの人見てたら思うな
むしろ好きだけど理解できないとか普通なのかもしれない
理解できた方が優れてるとかそういうのではない
自分の中でリアルな存在として認識できることと、思考を完全に理解することは別だと思います
よく、キャラの発言の意味が後になってわかったって作者の人が言う時ありますけど、
それがそういうことなんじゃないかな
一人の人間として確立した上でそれに同感、共感できるかどうかはまた別の話と思うんだよなぁ
できるとしたらそれって共感できるような人間しか作ってないだけでは
って思ってしまいそう
そんなにいろんな人間のことが理解できるはずがない、と思う
もちろん、そういうキャラがいてもおかしくはない
そういう人がたまたま現実にいる、というのと同じことなんですからね
ただ無理やり理解しないと、という強迫観念で理解を押し付けてしまうと、歪んだイメージになってしまう
そこが空想のキャラと現実世界の人間との差かなぁ
空想のキャラは自分の願望をおしつけることが「できてしまう」から

書いてある通り。話がひとりよがりにならないようにするのには過干渉を防がないといけないと思う。
独立した一人の人間としてのバランスを保つことは難しいけど、それを複数動かした上でちょっとシチュエーションを調節する、くらいが多分いいと思う。


うーんしかし愛の文章はすごく濃くて、あぁいう文がかけるだけでたとえ空想のキャラクターにでも救われて、人生経験を濃くしてもらってる人が確かにいるんだなぁと感じた。
琴線に触れるかにかかわらず、意識してもっと物語を深く読み込んで、こういうことに活かしたいと思う。
しかし、この会話ログもそういったことを話し合える人間がいてこそだったし、そもそもそういうブログがないとこんなこと考えなかったわけだし、人生運っぽい。