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コミケとか同人誌とか

8/10~12の三日間、夏のコミックマーケット夏コミ、C84)に参加していた。1,2日目は一般参加で、三日目はサークル「京大マイコンクラブ」として参加した。
まぁどんな同人誌を買ったとかは個人的に話したい人に話したりするとして、三日目に頒布している途中で感じたことを書いておこうと思う。
KMCは例年、部員のコラム記事が収録された部誌とゲームCDを頒布している。今回もそうだった。
去年、初めて夏コミに参加した時(C82)、自分で言うのもなんだが結構売上に貢献した気がする。声を張り上げ、人を呼び込み、買ってもらう。一つ一つ部誌やCDが売れていくのが自分の成果のように思えて嬉しかった。
ただ、同じように今年も売り込みをやっていて、違和感を感じた。違和感というのは、この「売る」という姿勢だ。
KMCのOBで、KMCがコミケに参加するきっかけを作った人と話した時、「利益が出ているかなんてことはどうでもいい。コミケは一つのアウトプットのきっかけだから」という言葉を聞いて自分の「売り」に徹した姿勢に疑問を覚えたのだ。
本来同人誌とか、まぁ音楽でもゲームでもいいが、同人でああいう場に何かを出すことの目的は、「人に自分の作ったものを見てもらうこと」だ。最近は規模が規模なだけに営利目的の人間もいるのかもしれないが、基本的にはこの通りだと思う。だったら「売り」に走るような行動はすこしスタンスが違うように思える。それは利益を出すことが目的の人のやり方だ(もちろん見てもらわなくては話にならないためある程度のアピールは必要かもしれないが、それは内容紹介くらいのようなもので十分と考えている)。
あと、部誌というモノについても少し考えた。「氷菓」ではないが、部誌というのは「出すことになっているから出すもの」というのとは違うと思っている。何かしらの想いの発露として出てくるべきもので、単に名義を部から出しているというだけに過ぎない。つまり「今回の部誌は何で埋めよう」という発言はおかしいわけだ。
自分がゲーム作り、部誌の原稿にほとんど関与していないという点を除いても、今回はなんというかあまり買ってもらう喜びは少なかったように思う。編集長にあたるような人間や編集委員会のような人達が「今回はこのような部誌を出したい」という風にして、その方針の赴くままに各人に記事の執筆をお願いしたりするようなものではないのだろうか。伝統というのは確かに大切だとは思うけど、手段と目的が反転していては話が変わってくる。ああいうイベントに出すからには少しそういうことを考えてみてもいいのではないか、と思った。(目の前で見ていてあまり部誌に割けるほどの時間、人員がないことをわかったうえで)

やっぱり同人誌をたくさん買って思ったけど、自分のエゴを丸出しにしたものの価値を、人が認めてくれることにあのイベントの真の喜びがあるのだと思う。どうせ参加するのなら、その一番甘い汁を吸わないと損だよなぁと感じた。
自分もそろそろ出したい。しかしこのエントリだけでも相当に文章を書くのが下手だということが分かると思う。うーむ。精進。