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昨日あんな日記を書いておいてなんだけど、やはり寝ると感情はリセットされる。つまり、より現実的な問題として処理できるようになるので、辛いことが有ったらどんどん寝ていこうと思う。中二の時も同じ心理に到達した思い出があるので(あの頃はただ単に辛さがなくなるという認識だった)本質を射抜いていなくても心理に到達することはあるんだなぁ、と思った。

朝からビラを配っていた。数日前まで女子高生だった女の娘たちと間近に触れ合えたのはよかったけど、基本的にみんな興味無さそうで心が折られまくる感じとなった。ただ、ちらほら有望そうな人がいたのでそれが救いだった。よく「文系だから……」という文句で断られたのだけど、文系だからこそ出来ればよりかっこいいという発想はないのだろうか。どうにも選択思考的発想のように思えて残念な感じだ。大事なのは興味であろうに。

ビラ配りが終わった後、昨日の反省会の内容をpushしたスライドでもう一度練習会をやった。今回は割合スムーズにいったのでよかったと思う(一部の未提出者及び未修正者を除く)なるべくなら明日には間に合わせてほしいんだけどそれはこれからの催促にかかっているんだろう。

その後、浪人していた高校の友人がガイダンスに大学に来ていたので会って話していた。ほぼ一年ぶりの邂逅だったんだけどなにも変わってなくてスムーズに話せたのは良かったと思う。大学なんかに汚染されていない人間はやはり綺麗で、話してると心が洗われた。思うに最近遊んでるから積極的に交流して行きたいと思う。しかしかなり成長もしていて時の流れを感じた(もしかすると元からだったのかもしれない)。

その後、先輩の家に泊まりに行った(今の僕には実質家がない)んだけどあまりに眠くて(昨日の生活習慣が終わっていた、というかこたつを失ってから安定して寝れる場所が無くなってリズムもなにもあったもんじゃない)すぐ寝てしまって、そしたら何か仕事が回って来たらしく起こされて、その最低限の仕事だけしてまた寝た。あんまり記憶はないんだけどその時のツイートを見るとかなり病んでいて久々に本当に起こされたくなかったんだなx、と思う。

どれだけ一時的な感情でつぶやいてしまおうが、消去はしないことにしている(タイポしたつぶやきは一瞬で消す)。それは僕にとってtwitterが交流の場でなくあくまでアウトプットの場というか記録の意味を持っているということに起因する。都合の悪いつぶやきを全て消して、twilogなどで振り返って当たり障りのないつぶやきだけが並んでいてそういう事があった、ということも思い出せないのはなんかズルい気がする。基本的に人間の記憶はそうなっているんだから、せめてこういう記録くらい残しておいてあとで苦い汁を下の上で転がしながら若さを嗤うくらいのノリは欲しい。あと鍵も付けないことも決めている。まぁコレも信条のようなものが無いではないが、めんどくさいし。

先日の日記にも書いたように、この学期はおそらくかなり勉強に集中することになる。そもそも一回の時の毎日プロジェクト出席というのがまずおかしかったわけで、これからは柔軟に出席しようと思う。

大学に行く前はこんなことを書いていたりするけれど、実際通い始めるとそのあまりのだるさに挫けてしまう可能性が大いにある。そこで今日の同級生あたりの力を借りて投稿していこうと思う。一年間かけて自分と大学の付き合い方のバランスは調整してきたはずだ。それが正解かどうかはまだわからないけど、いつか自分にとって最も幸せな生き方を見つけられたらいいと思う。

最近書きすぎて雑談を書く暇が全くない。